ヴェールを脱ぎ捨てて
「理不尽、だ」
結婚は、墓場だ。私は、これから真っ暗な逃げ口もない部屋の中に閉じ込められるのだ。鍵をかけられ、目的が済むまで飼われるのだ。終わるまで、ずっと。私はもう、逃げられない。この化粧室を出たら、私はマレーンでもなくなるのだ。誰か知らない王女の名をこれから部屋の中で永遠に近い時間で呼ばれ続けてしまう。マレーンという存在でさえもいなくなってしまったら。生命はあるが、それはもうマレーンではない。誰かだ。
止まっていた息が、ひゅうひゅうと音を立てて私に蘇ってきた。私を動かすための空気が、ぐんぐんと私の喉を通り過ぎてエネルギーとなっていく。
「絶対に、嫌」
だらりと力なく下がっていた両腕がびくりと震える。恐いからじゃない、勇気を与えるために、自分を奮わせ邁進させるために。浮いていた足をしっかりと地につけてやる。すぐにでも行動できるように。
私は、決心した。今、決心した。私は、生きる。生きるために逃げる。ここにいたら、マレーンはいなくなってしまう。今まで生きてきた人生が全て台無しとなってしまうのだ。
目を瞑る。今までの経験が懐古として私に健闘をと励ましてくれているように走馬灯が走った。私は勢い良く目を開けると、そこには純白の私を映す胴体ほどの大きさの鏡が見える。私が映っている背後に存在する侍女に、私は心の中でごめんなさいと呟いてから、アナタには迷惑をかけないと誓い、窓から飛び降りる算段を考えた。大丈夫、ここはそこまで高い場所ではないはず。それに、あの窓辺から見えているあの屋根をつたって頑張れば―――そう逃亡の道順を脳内で映像を流しながら思考していると、ふと、私の目の前がどうも不自然であるように直感した。理由はない。ただ、あれ、と私の脳が思考を途絶えて前方を見るように身体を集中させたのだ。何だ何だと慌てて指示に従えば、ヴェールでくぐもった視界の中―――私の目の前。椅子に座った私の頭部から膝あたりまでを映している鏡の表面が、文字通りにぐにゃりと歪んでいた。
< 3 / 14 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop