ヴェールを脱ぎ捨てて
鏡の青年
右足の爪先が質量のある何かに触れた瞬間を脳が電気信号で感じて理解したその時、私は自分が一番バランスの取りにくいピンヒールを履いていることに気がついてもう遅かった。床と触れあう接触面積が極端に少ないこの靴では、空中に飛び込んで着地しようとする身体を受け止めるには頼りのないもので。本当は爪先から踵へと重力に落ちていくはずが、先述通りに接触面積が少ないために重力を受け止めきれず、そのまま顔から前へとつんのめってしまう。尚且つ、私は憎き白の服袖にその爪先を滑らせてしまった。深いスリットを入れたとはいえ、その長さは変わらないのである。「―――!」叫ぶための喉も完全にこれからやってくるであろう痛みに恐れて音を出さない。というより、鏡の中の世界に私の言葉や常識も通じるのかどうかは不明だった。しかし、喉は恐れで閉ざされているくせに、私の脳はどうにも冷静で、前方へ傾いて視界に入った床の色が先程の外の世界と反転していることを理解して、本当にここは鏡の中なのだと改めて実感した。ここまで冷静な自分がどうにも怖い。あとから思ってみれば、もしかしたら私は、眠っているだけで助けに来てくれる王子様や、悪を打破してくれる勇敢な若者の存在を心のどこかで無意識に期待していたのかもしれない。勇気を出して手を伸ばしたら、鏡の中へ入れたように――――。「大丈夫かい?」そしてその期待は、なんとも当たらずも遠からずと言った、微妙でしかし曖昧ではない現実を私に突きつけてきた。ファンタジーの奇跡なんて、たった一度きりだ、と嘲笑うかのように。「可愛らしくてしかし無知な‥お嬢さん」それは王子様のはずだった。前方に倒れ込むはずの私を腕一本で支えて受け止めた後、ひょい、と私を軽々横抱きに抱え上げたその人物は―――。