期間限定、恋人ごっこ

何も言えないし、井口の目が見られない。
ただ、掴まれている手首に視線を落としていたら、井口は細く息をつき、ゆっくりと手を開放してくれた。

「――悪い」

離れていく手は、大きくて骨っぽくて、綺麗に切りそろえられた爪も井口らしいと思った。
何で掴まれたのか、わからなかったし訊けなかった。
あんな風に触れられたのは初めてだったから、ちょっとだけうれしかった。

うそ。
すごくうれしかった。

けど、それは表情にはきっと出てなかったと思う。私は、きっとまた眉間にしわを寄せて、難しいような怒ったような顔をしている。

だって、井口はずっと、私を見ない。
私の顔を見ないように、黙々と手を動かして作業を続けている。

私も、ただ黙って手を動かした。じっとプリントだけを見て、耳は紙の擦れる音だけを聞いて。

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