誠-巡る時、幕末の鐘-
散りゆく時は桜のごとく
怖い話をしてると寄ってくる
―――文久三年六月三日
大阪において相撲力士と乱闘。
死傷者をだした。
これを大阪奉行与力、内山彦次郎が問題視。
近藤を怒らせ、翌年暗殺される引き金を作った。
―――同月
水口藩、口用方が
「壬生浪士組は乱暴である」
と発言。
これが会津藩を通し、筆頭局長、芹沢鴨の耳に入る。
激怒した芹沢は、永倉、原田、井上、武田を派遣。
担当者の身柄引き渡しを要求。
担当者を強迫し、謝罪させ、証文を書かせた。
一連のことは口用方の独断だったため、事が露見するのを恐れ、証文を取り戻そうと説得。
角屋で会合という名の宴会が行われた。
そこで酔った芹沢が大暴れし、店主に七日間の営業停止を命じた。