Fahrenheit -華氏- Ⅱ
俺も向かい側の席に腰を降ろすと、おしぼりとお冷を運んできたウェイトレスにホットコーヒーを頼んだ。
「菅井さん……上司には何て説明したんだよ」
「急な打ち合わせが入ったって言ったわ」
真咲はなんでもないように言って、ティーカップに口を付けた。
「菅井さんは怪しまずに大人しく帰ったのか?」
「怪しんでなんかないわよ。あたしたちは営業でペアを組んでるけど、中小企業相手にはそれぞれ一人で回ってるしね。彼とは個別の顧客だってたくさんいるわ」
「…営業……してるのか?」
意外な感じはした。
まぁ真咲は昔から頭の良い女だった。愛想も良く、会話上手。社交的な女だ。
だけど将来の夢はスポーツライターだと言っていた。
小学生から高校生までバドミントンをやっていて、高校ではチームが県大会まで進出し、ベスト8の成績をおさめたとか。
大学に入ってそのバドミントンを辞めた理由を―――俺は聞いていない。
何か理由があって辞めざるを得なかったのだろう。だから少しでもそのことに関わっていたいんじゃないかと俺は思っていた。
それが180度違う職種だ。
「お待たせいたしました。ホットコーヒーでございます」
俺の元にコーヒーが運ばれてきた。
そこで俺の真咲に対する小さな疑問は消えうせた。
上品な香りが漂ってくる。学生の頃真咲とよく飲んだ安物のコーヒーじゃない。
だけど俺はその香りをゆっくりと堪能する余裕がなかった。