Fahrenheit -華氏- Ⅱ
「どうも」
私は曖昧に頷いて、前を見た。あからさまなナンパ…?こんなところで?と思ったけれど、一生懸命な様子を見てあまり邪険にもできなかった。
ナンパと言うよりも本当に勇気を振り絞って声をかけてるって感じだ。お近づきになりたていう程度ね。
数秒の沈黙が流れたのち、またも男性が喋りかけてくる。
「あの…どなたかの付き添いですか?」
「付き添い?いいえ、違います。診察待ちです」
この答えにまた男性はびっくりしたように、
「そ、そうなんですか。僕も診察待ちなんですけど、まだまだ掛かりそうですかね?」と聞いてきた。
「私が聞いたときは30分待ちでしたよ」
「30分かぁ。長いですよね」
と男性がため息を漏らす。
その後会話は途絶えると思いきや、
「この辺にお住まいなのですか?」とまたも男性が聞いてきた。
あたしが顔を上げると、男性は顔を赤くしてわたわたする。
そのときだった。
ポーン…
エレベーターホールにエレベーターの到着を報せる音が響いて、あたしはそちらの方に視線を向けた。
ガー…と機械的な音がして、その箱の中に啓が立っていた。
皺加工のブラックミリタリージャケットの下に白地に英字が入った長袖カットソー。
細身のベージュ色パンツは太腿の場所に三つジップが入っているお洒落なデザインだった。
全体的にシンプルだけど、こうやって改めて見ると啓はどんな服でも気軽に着こなすだけのセンスがある。
急に無機質なエレベーターの箱が、華やいで見えた。