Fahrenheit -華氏- Ⅱ
寝坊したと言っていた。
確かにまだ眠そうに眉間を指でつまんでいる。
あたしはいつもより少し濃い目で彼にコーヒーを淹れた。
「ありがと~♪優しいね」なんて頬を緩ませる啓はいつも通りで、だけどちょっとだけ覇気がない。
いつも……何ていうのかしら。少し下心がありそうな、隙あらばあたしに触ってきそうな勢いを今は感じられなかった。
実際いつもは誰も居なくなると、彼は豹変(?)する。
やたらとくっつきたがるし、甘えてくる。
「柏木さん……」あたしのことを名前で呼ばない辺り気を遣ってはいるのだろうけど、
「キスしたい」なんて普通の女子社員には言いませんよね?
そんなこと言っていたらセクハラだ。訴えられてもしょうがない。
「仕事してください、部長」
冷たくあしらうも、
「するよ?君がキスしてくれたら」なんて微笑みを浮かべる。
「しません。ですが仕事はしてください」そう答えても彼は強引に迫ってくる。
キスをしたら大人しく自分のデスクに帰っていくかと思いきや、背後からぎゅっと抱きついてきて、払っても払っても、まるでしつこい自縛霊のように纏わり付いてくる。
仕方なしにあたしは彼の腕を巻きつけたまま仕事をしてるってわけです。
みんなが帰ってしまうと、啓の相手をするのが結構大変。
だけどそんな風に纏わり付いてくる彼を、最近では可愛いと思う。
まるで大きな犬がかまってほしくて纏わり付いてるみたい。
啓―――
巻き込むつもりはない。
だけど少しだけ―――力を貸してください。
あたしは稟議書をメールに添付して彼に送信した。