Fahrenheit -華氏- Ⅱ
「綾子さんは啓とこうゆうお店に来たことありますか?」
ちょっと気になって聞いてみると
「あるある~って言っても二人きりじゃないけどね。
大抵裕二と三人だった。会社の飲み会とかでさー二次会っての??
桐島くんも入れて四人ってのもあったな~」
綾子さんは思い出を懐かしむように飛び跳ねた油で少し汚れた天井をぼんやりと眺めた。
「新卒で入社して、初任給なんてたかが知れてるでしょ?
私たち…同期入社で特に気が合って、しかもまだ配属前だったし、よく来た。
研修中の新入社員にはありがたいお店なのよね~」
綾子さんは
あたしの知らない啓をたくさん知ってる。
あたしには見せない顔を―――たくさん見てきたんだ。
“同期”とくくってしまえば簡単だけれど、あの会社に居る限りきっと
同じ目線で語れる唯一の仲間。
「と言ってももう三年ほど前の話だし、今はお互い部署も違えば桐島くんも結婚しちゃったしね~」
綾子さんはあたしに悪いと思ったのか話題を変えようとお冷を一口。
「いえ、あたしもそうゆう時期ありました。
アメリカで会社を立ち上げたばかりの頃、設立当時のメンバーに上下関係はなく、夜中まで戦略や企画について語ったこともありました。
おなかがすくとピザとフライドポテトをデリバリーするんです。
それまでお互い一歩も引かなかった社員たちが、そのときだけは和気藹々と心の底から楽しんでいるように思えました。
今思えばバカみたいなくだらない会話で盛り上がり、太ることも気にせず薄いピザを食べて
安いビール片手に、笑いあった」
それは遠い日の記憶―――
もうあの頃のあたしには
戻れない?
戻ろうとしている。
戻そうとしている。
でもあの頃のメンバー…当時重役だった大半のメンバーはヴァレンタイン財閥との統合で、解雇されたり離職したり、中には独立した人も居たけれど
成功しているのはごくわずか。
あたしは手に入れようとしているものは
過去のファーレンハイト社ではなく、その亡霊なのだ。
親会社の名前とあたしの名義、そして建物だけの
入れ物に過ぎない。
それでも取り戻そうと躍起になっているのは
何故なんだろう。