Fahrenheit -華氏- Ⅱ
女は糸の切れたマリオネットのように、ペタリとその場に腰を落とした。
色が失せた空虚な視線はどこを彷徨っているのか、誰にも分からない。
「……あたしはただ……裕二が好きなだけで……」
と、口の中でまだ呟いていたが、先ほどまでの勢いは欠片もない。
裕二はもちろん、半分被害者なみたいなもんの綾子も、俺も
誰もが彼女に掛けるべき言葉を見つけられなかった。はっきりと言うが同情、とは違う。ストーカーをする心理が分からないから、下手に刺激できない、と言ったところか。
いきなりナイフを取り出してブスリと言うことも有り得る。だがソファに置かれた女のバッグから彼女の手元まで距離がある。いざ行動を起こそうとするものなら、身体を張ってまで阻止するつもりだが(愛しの瑠華ちゃんだけは守るぜ!)
そんな中
「それは本当に
“好き”なのですか―――」
瑠華だけが静かに口を開いた。まるでその言葉自体が凶器のように尖っている。
「先ほど啓が言いました。あなたのしているのは“恋愛”ではなく“依存”だと。
でも私には恐ろしいまでの“執着”に見えます」
瑠華はまるで報告書を読み上げるかのごとく淡々と言ってのけた。
る……瑠華……
下手に刺激しちゃマズいだろ…と言う意味で、そろりと瑠華の元へ歩み寄ろうとしたが、瑠華はそれを手で制した。
それは『大丈夫です』と言う意味合いだ。
瑠華は危険も顧みず自ら女の元にしゃがみ込むと
「でも、その執着心もまた
一つの愛なのです。
あなたは形は違えど、大切な何かを手に入れることができました。
それは人間にとって不可欠なもの」
瑠華が女の両肩にやんわりと手を置く。女は瑠華に乱暴なことをするつもりもないのか、ただただ目の前の瑠華を凝視していた。
「不可欠なもの……?」
女が小さな声でおずおずと問いかけて
「そう、それは『愛』に他ならないのです」
瑠華が女を包み込むように抱きしめると、彼女の頭を掻き抱いた。
それはまるで
聖母マリアが、キリストを抱くその姿に
酷似していた。