君しか愛せない
スーツなんて年に数回程度しか着ないから何度着ても慣れず、鏡に映る自分の姿に違和感を覚えずにはいられない。
上着を片手に小春達の待つリビングへ向かうと2人とも既に朝食を食べ始めていた。
「葵兄、やっぱり二度寝してたでしょー?」
「してねぇって」
折角起こしてあげたのに、と不貞腐れる小春を横目に俺も椅子に座る。
「そういえばもうこんな時間だけど……葵兄、そんなにゆっくりしてていいの?始業式そうそう遅刻なんて笑えないよ?」
高校の教師をしている俺はいつもなら実家から片道1時間掛かる高校へ通っている為、早い時間に家を出ているのが今日はかなり遅めだ。
「いいんだよ。転勤になったから」
不思議そうに尋ねてくる小春に、朝飯のパンに噛りつきながら答えた。
「えッ!?聞いてない!どこの学校になったの?」
余程気になるのか、食べかけのパンの存在など忘れたようにしつこいくらい食い付いてくる。
今言わなくても後でわかる事だと言うのに。
「帰ってきたらな」
「けち。今教えてくれたっていいじゃん」
「そうだそうだー」
俺の勤務先になんて全く興味が無いくせに凌まで……鬱陶しい事この上ない。
そんな俺に助け船を出したのは母の一言だった。
「あんた達、仲が良いのもいいけど早く仕度しないと遅刻するんじゃないの?」
うちから転勤先の学校まではバイクなら10分も掛からないが、自転車通学の小春はのんびりしていていいのだろうか。
「いっけない!これじゃ遅刻だよッ。どうしよう!?」
「入学初日から遅刻なんて笑えないな、小春」
「うるさいッ」
先程の台詞をそくっくりそのまま返してやると、小春は手近にあったカバンを俺に向けて振り回した。
しかしそんなもの食らう訳もなく、カバンは空を切っただけで小春は悔しそうな表情を浮かべている。
しかし次の瞬間には我に帰り、こんな事をしている場合ではないと食べかけのパンを咥えて慌てて玄関へと走っていった。
「んじゃ、俺もそろそろ行くわ。凌は?」
「俺は今日は休みなんだよ。いってらっしゃい」
「おう」
カバンを手に玄関までいくと、そこには必死な目で俺を見つめる小春の姿が……。
「な、なんだよ」
瞳を潤ませながら何かを強請る様なポーズ。
案の定、小春が口にしたのは。
「葵兄お願いッ!学校の近くまででいいから送ってって!!」
両手を胸の前で組み、上目遣いに俺を見上げる。
そんな風に頼まれたら断れないのを知っていてそうするのだからずるい。