はぐれ雲。
薄暗くなったリビングの床に、博子は膝をかかえて小さくなっていた。

その膝に顔をうずめる。

時計の秒針が、刻一刻と時が流れていくことを知らせる。

まるでその音が「ほら、もうこんな時間だよ。いいのかい、行かなくて」と挑発してくる。

そして、追い討ちをかけるように
『待ってる。おまえが来るまで俺は待つ』とあの人の声がする。

博子は耳を押さえた。

しかし目を閉じれば、亮二の顔が浮かぶ。

<あきらめて、お願いよ、私。あきらめてよ>

自分の心が他人のものになった気がする。

コントロールできないくらい胸が痛む。

閉じ込めた彼への想いが、外へ出たい、外へ出たいと叫んでる。

<会ってはいけないのよ。だからあきらめて>

時計はすでに17時半を過ぎていた。


中央駅は帰宅する人たちが押し寄せ、激しい混雑だった。

大勢の人たちが、駅の改札を慌しく通る。

人の流れに逆らうように、博子は駅前広場へ向かって歩いていた。


気が付くと、家の前の坂を駆け降りていた。

気が付くと、電車に飛び乗っていた。


遠くから彼を見るだけ。
見たらすぐに帰ろう、会わずに帰ろう。

そう心に決めて、広場へ続く通路を人目を避けるように隅を歩いた。

目の前がパッと開ける。

たくさんの街灯が、広場を煌々と照らしている。

中央にある時計は、もうすでに19時を過ぎようとしていた。

広場には多くの人が行き交い、亮二の姿がどこにあるのかさえわからない。

博子は柱の陰から広場に目をやった。

背の高い男性が近くを通るたびに、身を隠す。

<一目、一目彼を見たら帰るのよ>

呪文のように心の中で唱え続けた。

高鳴る鼓動と闘いながら…

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