はぐれ雲。
<ねぇ、新明くん。
あなたを前にして、達也さんの話はしづらいの>

博子は心の中で語りかけた。

<男の人はどうだかわからないけど、女の人はね、初恋の人の前では、その人に恋をしていた時のままでいたいものなのよ。どれだけの年月が流れていても…>

「今日は出てきてよかったのか」

亮二が聞いた。

「うん、主人はいつも遅いから。ここ何日かは特に」

「忙しいのか」

「ええ。でもあんまり仕事の話はしてくれないの。なかなか普通の会話もできないくらい…とにかく忙しくて」


自分は加瀬達也の妻である前に、「刑事の妻」なのだ。

何が何でも、夫の仕事を優先しなければならない。

どんな些細なわがままも、どんな切実な願いも、決して聞き入れてもらえない。

そう、あの時お腹に痛みが走った時のように…。


あれから二人には大きな溝ができた。

普段の何気ない会話でさえ、ぎこちないものになっている。



亮二は何かを察してか、一言も発しなかった。

「あ、ごめん。暗くなっちゃった。もうこの話はおしまいね」

笑顔で亮二を見る。

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