はぐれ雲。
博子が暗い坂道を上りきると、官舎の3階の部屋に明かりがついていた。

慌てて携帯を見ると、達也からの着信が数分前にあった。
きっと達也も今帰ってきたところなのだろう。

博子は急いで階段を上がり、そっとドアを開けてみる。

シャワーの音がかすかに聞こえた。

博子は中に入ると、ベージュのワンピースを急いで脱いでクローゼットの奥にしまう。

いや、隠したという方が正しいかもしれない。

普段着に着替えると、ちょうど達也がバスルームから出てくるところだった。

「どこに行ってたの。帰ってきたらいないからびっくりしたよ。てっきり実家かと思った」

そんな優しい声に胸が痛む。

「ごめんなさい、連絡しないで出かけてて。今日友達から急に電話があって、一緒に食事にって誘われたの。達也さん夕飯いらないってメールが来てたし。久々だったものだから、盛り上がっちゃって。ついこんな時間まで騒いじゃって…」

博子はうしろめたさから、一気に話し終えた。

時計を見ると12時を過ぎている。

「気にしなくていいよ、ただ心配だったから。たまには博子もそうやって気分転換すればいい」

達也はにっこり笑って、リビングのソファーに腰掛けテレビをつけた。

「お布団敷こうか?それとも夜食でも作ろうか?」

「ん?ああ、俺のことはいいから、先にシャワー浴びてきたら?」

テレビを見ながら達也は言う。

「うん…じゃあ、そうさせてもらうね」

博子は彼の後姿にそう言い残し、バスルームに入った。

<ごめんなさい、達也さん>

亮二と会ったことは、口が裂けても言えるはずがない。


どうして達也はこんなに優しいのか。

ううん、昔からそうだった。
ぎくしゃくさせているのは自分なのではないか。いつまでも亡くした命にこだわっているから。

そして達也にこんなにも愛されていながら、初恋を、あの人を忘れることができないのだから。

博子はシャワーに打たれながら、自分を抱きしめた。



達也は冷蔵庫を開けるついでに、ふと玄関をのぞいた。案の定、鍵がかかっていない。

「無用心だな」

取り出した冷たいお茶とグラスをテーブルに置くと、玄関に向かった。

そして、たたきにあるサンダルを履こうとして、足が止まる。



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