はぐれ雲。
博子と夫の加瀬達也が結婚してから、7年が経とうとしていた。
彼は警察学校を出て交番勤務、自動車警ら隊を経て、2年前から南区の県警本部の捜査一課に所属している。
今住んでいる東区から電車で15分ほどだ。
念願の刑事になったものの、それ以来彼は常に仕事で、家には寝に帰ってくるだけの日々が続いていた。
ひどい時は、何日も帰ってこない。
博子は独りで家にいるのは寂しくて、働きに出たいと彼に訴えたこともある。
しかし、不規則な生活を支えて欲しい、そう言ってあまりいい顔をしない。
今では彼の帰りを待つだけの毎日に、正直虚しさを感じるほどだ。
彼らは小高い丘の上にある、5階建て警察職員宿舎の3階に住んでいる。
ここには上司や同僚の家族もいて、一歩外に出れば頭を下げるばかりだ。
築30年のわりに、建物や敷地内は小綺麗にされていた。
というのも、月に一度の入居者による清掃があるからだった。
もっぱら妻同士の情報交換や、夫の愚痴、子どもの自慢などで時間が過ぎていく。
博子は達也に特に不満などなかったので、聞き役にまわるのが常だった。
聞き上手の彼女に、皆は日頃のうっぷんを晴らすかのようにしゃべりまくる。
「加瀬さんはいいよね~ご主人、背も高くてかっこいいもん。その上、優しそうで。うちなんてもうお腹出てきて、メタボよ、メタボ」
よく同じ官舎の妻たちに達也のことを誉められた。悪い気はしない。
なぜなら夫の達也は仕事が忙しいながらも、いつも優しく気遣ってくれるからだ。
自分は幸せなんだと、漠然とそう思っていた。
博子たちの2LDKの部屋は、上の階の生活音が筒抜けだ。
子どもが走り回る音、掃除機の音…
けれどそれを苦に思うことはない。
むしろ博子は安心する。
達也がいない夜などは慣れたとはいえ、やはり心細いものだ。
そんな音も、誰かが身近にいる、そう思えた。
最小限の家具と家電。
2人がけのお気に入りのソファー。
ベランダから見える景色。
あとは、達也との間に子どもがいたら…
贅沢な悩みだとはわかっている。
しかし、この胸の寂しさと虚しさを埋めるには、子どもしかいない、いつしかそう思うようになっていった。