はぐれ雲。

あの日、立っているのがやっとなほどの激痛が、お腹に走った。

熱いものが足を伝って落ちてくるのがわかる。

恐る恐る床を見ると、真っ赤な血が踵を染めている。

「……!」

怖かった。

たった一人で怖かった。

赤ちゃんの命の灯火が消えていくような気がして、不安で不安でたまらなかった。

慌てて電話をかけようとするが、震えて何度も携帯が手から滑り落ちる。

「やだ、赤ちゃんが…助けて」


やっとの思いで達也の番号を呼び出し、発信ボタンを押す。

「お願い、出て!早く出て」

しかし、女性の無機質な留守番電話の音声に切り替わる。

泣きながら、博子は何度もかけなおした。

「達也さん…!」


痛みに耐えながら達也の声を待ったが、その声が聞こえることはなく博子はその場にうずくまった。

かわりに受話器から聞こえる何の感情もない音声に、彼女は言った。

「お腹痛いの…助けて…赤ちゃん、助けて…」


手を伸ばした母子手帳。

届くはずもなかった。

それでも指はもだえるようにそれを求めた。

「あ…赤ちゃん…」

区役所でもらってきたばかりのその手帳を見せた時の、達也の嬉しそうな顔が浮かんでは、消えた。


それから、自分がどうなったのかわからない。

ただ、青い青い空の夢を見ていた。

そこに眩しい光が一つ、遠ざかってゆく…

空の彼方へ飛んでゆく…

そんな夢だった。

追いかけても、追いつくはずもない。

ただ途方に暮れる、そんな思いだったことだけは覚えている。


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