はぐれ雲。
「葉山博子、といいます」
小さな消え入りそうな声だった。
でも、柔らかくて心地いい声、そう彼は思った。
「えっと、葉山博子さん、ね」
達也は繰り返した。
何度も心の中で。
<葉山…博子、か>
彼女たちが去った後、アキラがにやついた。
「早速目をつけちゃったのね~、達也ちゃん?レナちゃんに言っちゃうぞぉ」
「違うよ、そんなんじゃないから。それにレナとはなんでもないし」
「おーお、焦ってやんの」
達也はアキラの腹に軽くパンチを入れた。
「おまえはうるさいんだって」
あの時のなんともいえない彼女の透明感を、達也は結婚した今でも忘れられない。
博子の周りにだけ優しくて、それでいて何もかも尽くしたくなるような雰囲気が漂っている。
一目惚れだと言われれば、間違いなくそうだろう。
それが二人の出会いだった。
本格的に大学での授業が始まった。
もう夏も近い。
ぎこちなかった新入生も慣れてきたせいか、控えめだったキャンパス内も入学直後と比べて、かなり賑やかになっている。
達也は大きな試合を直前に控えていた。
しかし、練習に身が入らない。
原因は、そう、彼女だ。
彼は博子たちのいる講義室へ何回も足を運んでいた。
もちろん剣道部の勧誘のために。
ただ、彼にとってそれは表向きの理由にすぎない。
葉山博子に会いたい、それが本心だった。
部活の勧誘は、見事に連敗中だ。
しかし、いつまでもそれを理由に講義室に押しかけることもできない。
今日断られたら、もうあきらめよう、そう思ってやってきたのだ。
剣道部の勧誘はあきらめても、果たして彼女をあきらめられるか…達也は頭をかく。