はぐれ雲。
達也は県警本部の資料室にいた。

有給休暇中ではあるが、行くところもなく仕方なく出てきて書類の整理をしていた。

廊下で人とすれ違えば、皆が好奇の目で彼を見る。

それがたまらなく辛かった。

かと言って家に帰ることはできない。

博子は今、「参考人」として事情を聞かれる立場にある。いくら夫とはいえ、警察官である自分はそんな妻のそばにはいられない。

それに彼女に会えば、きっとまた狂おしいほどの嫉妬が彼を襲い、心が乱れ、傷付くようなことを言ってしまうかもしれない。

それが怖い。

ひしめきあう段ボールの山の中で、達也はひたすら時間が過ぎるのを待った。

数ある捜査資料の中で、ふと「元暴力団員一家殺害事件」と書かれたファイルに目が留まる。
パラパラとめくってみると、担当者が桜井だとわかった。

「おい、加瀬」
ひょっこり顔をのぞかせたのは、当の桜井だった。

「飯、行かんか?」
彼は時折達也に気を遣ってか、よく顔を出してくれた。

博子のことに触れることもなく、たわいもない話をして、また現場に帰っていく。
それが今の達也にはありがたかった。

「はい、ご一緒させていただきます」
そう言って、持っていたファイルを段ボールにしまった。


夕方、彼が署の階段を降りていると、
「こんにちわ!」と胴着姿の小学生の男の子が元気に挨拶をした。

「こんにちわ」

達也も笑顔で返しながら、あることを思い出した。

警察署にある三階の道場は週に四回、一般人にも開放されてる。

そこでは剣道教室や柔道教室が開かれ、多くの子どもたちが通ってくるのだ。

達也は少し考えると、今降りてきたばかりの階段を上がり始めた。



道場にはすでに小学生の男女が十数人集まり、にぎやかにモップをかけている。

自分も剣道を始めた頃のことを懐かしく思い出した。

父親が仕事のかたわら剣道教室を開いており、自然と達也もそこに通っていた。

父のように強くなりたい。

その一心で練習に打ち込み、数々の大会で優勝を修めるほどになった。

そうすると、いつもは厳しい父が誉めてくれた。



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