はぐれ雲。
「あの、葉山。えーっと」

困ったように頭をかいた。

達也の癖だ。

「さっきはごめん、突然でびっくりしただろ」

目を合わせられずに、彼女はうつむいた。

「でも、俺、本気なんだ」
彼の声が一段と強くなる。

「初めて会ったときから気になってた。剣道部に入ってくれってしつこく勧誘したのも、君との接点を失いたくなかったからなんだ。
でも、いざ君が入部しても、なかなか好きだって言い出せなくて。好きな人が他にいるんじゃないかって…」

「え?」

意外な言葉に思わず顔をあげた。

<他に好きな人がいる…それがわかっていたのなら、どうして私を好きだって…>

そう聞いてみようとした時、その声が届いたかのように達也は言った。

「好きな人が他にいてもいいんだ。時間がかかってもいいんだ。勝ち目なくても何年でも、何十年でも待つよ。俺も、努力する。
君が俺のことを好きになってくれるように。
だから、少しでもいいから、俺をみてくれないか」

低くて穏やかで、包み込むような声だった。

「でも、私…」

「おっと、待って、ストップ。それ以上言わないで」

彼は大きな手のひらを彼女に向けた。

「いいんだ、少しだけでいいんだ。俺にもチャンスをくれないかな」

「どうしてそこまで私に?」

「うーん。どうしてかって言われるとわかんないんだけど」

照れながら達也はまた頭をかく。

そんな彼を、博子はかわいらしいと思った。

「とにかく待つから、俺」

そう言うと、急いで自転車にまたがる。


「早く乗って」

「え?」

「ほら、こんな話してて時間くっちゃっただろ。いつもの急行電車に間に合わない」と。


博子は思わず笑ってしまった。

そして彼の後ろに飛び乗る。

「よし、つかまってろよ」

風を切って自転車は坂道を駆け降りた。

耳の横を、風がビュウビュウと音を立てて通り過ぎていく。

博子はそっと達也の腰へ手を回し、彼の広い背中に頬を押し当てた。


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