はぐれ雲。
ここ数週間、強盗致傷容疑の男のアパートの張り込みが続いている。

車の助手席で達也は目頭を押さえると、缶コーヒーをあおった。

まともな物を食べていないせいか、コーヒーが流れ込むと胃がキリキリと痛む。

「奥さん、もう大丈夫なんか」

コンビを組む桜井警部補が聞いた。

50代後半で関西弁丸出しの彼は、穏やかな物言いとは裏腹に隙のない目つきで人を見る。
刑事としてずっと生きてきた中で培われたものなのであろう。

達也は刑事課に配属されて以来、桜井の背中をずっと追いかけてきた。

「ええ、まあ」と達也があいまいに答えると、

「刑事の家族っちゅうもんはつらいもんやなあ」と寂しそうに笑った。

桜井には離婚経験がある。

もう10年以上前にもなるが、刑事として家庭を顧みなかった桜井を置いて、彼の妻は子どもと一緒に家を出た。

「結婚しとっても一緒におられへんかったら、辛いわな。それやったら、いっそのこと他人になってしまったほうが気が楽やったんやろな」と以前話してくれた。

「この件が片付いたら、奥さんとゆっくりしたらどないや。バーンと奮発してな」

桜井が笑って缶コーヒーを一口飲んだ。

そして「大事にしたらなあかんで」とぽつりとつぶやいた。

達也がそんな桜井を見ると
「って、嫁に逃げられたおまえが何言いよるねん、って話やけどな」
と彼はおどけた。

達也もつられて笑うと容疑者アパートに目をやり、溜息交じりに言った。

「なかなか、うまくいかないもんですね」と。


達也も達也なりに苦しんでいた。

博子にどう接していいかわからない。

あの日、彼女と子どもを守ってやれなかった。

博子に早すぎると言われながらも買ってきた、アヒルのおもちゃを目にするたび、自分への怒りがこみあげてくる。

そのアヒルのあどけない瞳に、責められている気がする。

そして博子の顔を見るたびに、自分の無力さを呪わずにはいられない。


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