はぐれ雲。
電気を消してからずいぶん経つのに、二人は寝付けなかった。

布団の中で達也はじっと天井を見つめ、博子は達也に背を向けて横になっていた。

意を決したように達也が
「博子」と彼女の肩に触れた。

ゆっくりと向き直った博子の瞳を見て、思わず達也は肩に置いた手を引く。

なぜか、触れてはいけない気がした。

傷付けてしまうような気がした。

「おやすみ」とだけ言うと、「おやすみなさい」とだけ返ってくる。

暗い部屋の中で、その目から一筋の涙がこぼれたのを達也は気付くはずもなかった。

そして、彼の顔が苦しそうに歪むのを、博子は知るはずもなかった。


翌朝、達也は台所で洗い物をする博子の背中に向かって言った。

「今週末、食事にでも行こうか」

「え?本当に?」

喜びと不安が入り混じったような顔だった。その表情に、ネクタイを締める手が止まる。

今まで約束しても守れないことが多かったせいで、それを博子は気にしているのだ。
いかに自分が「約束」をないがしろにしてきたか、思い知らされた。

彼女がそのことに文句を言わないだけ余計に、申し訳なさでいっぱいになる。

「担当していた事件も一区切りついたし。それにもうすぐ博子の誕生日だろ、絶対なんとかするよ」

達也がそう言うと、やっと彼女は笑顔になった。

「レストラン、予約しとくよ。今からでもとれるかな」と達也は笑いながら頭をかいた。

「楽しみにしてる」

達也は嬉しそうに笑う博子を抱き寄せた。

「今度こそ大丈夫」そう約束してやれないのが、辛かった。


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