記憶の中で…


「志保!何を言ってるんだ?」

「え?あなたこそ何を言ってるの?この子は私たちの子じゃない。変な事を言うのね。」

この時すでにドイツへの赴任が決まっていて、一ヶ月後には出発する予定になっていた。

志保の事は子どもが亡くなったための、一時的なものだろうと思った私は、準備の忙しさも手伝って特に医者に見せるような事はしなかった。それほどしっかりとして、何ら普段と変わりなかったんだ。君の事を『ナツキ』と呼ぶ以外はね。

幸い子どもの怪我も大した事はなく、一週間後には退院できた。退院後の診察も一度だけ行き、その後は行けずじまいになってしまった。

息子のナツキは私が一人で病院へ出向き、引き取って帰って来た。志保は君が入院中、ずっと付きっきりだったから、全て一人でやった。私一人しか息子を送ってやれなくて、何度も何度も謝った。志保を許してやってくれと懇願した。

志保は君の世話をする事で、ギリギリのところで精神を保っていた。それがいつ崩れるのかと思うと、本当の事を言い出せなかった。

いつか君が記憶を取り戻した時、混乱するのは分かっていた。だが、戻らないかもしれない。




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