その信頼は「死ね!」という下種の言葉から始まった[エッセイ]
 私が「死ね!」という恩師から学んだことは、


『罵倒の言葉で傷つけられても己の力で立ち上がる精神力。
そして、己の正義と信念を貫く強い生き様』



 恩師のやり方が、一番正しいとは言いません。

 むしろ、恩師のような人は、学校に一人いればいい。

全ての教師が恩師のようになってしまったら、生徒はきっとうつ病になってしまう。


 だから観月は、乙武氏のような教師も必要だと思っています。

 観月には恩師の教育は一つの正しいやり方として受け止められたけれど、誰しもそのような受け止め方ができるとは限らないからです。

 そういう人を、癒し、励まし、奮い立たせるには……厳しい、キツイ言葉を使わずに

「なにくそっ!」
「見返したる!」

 という気概を抱かせる。

 そんな正統派な教師も必要でしょう。

 それも簡単にできることではないから、それができる人を心から尊敬します。


 正しいことは、一つでなくていい。
 正しいことは、人の数だけあっていい。


 自分にとって『一番正しいこと』はあったとしても、それが他人にとって『一番正しい』とは限らないのだから。

 たった一つの正しさが全てに通じるわけじゃない。

 違う考えの人がいるから、足りない部分を補い合える。

 自分と相容れない価値観が存在することは、むしろ良いことだと思うのです。
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