その信頼は「死ね!」という下種の言葉から始まった[エッセイ]
「状況、場所、人との関係性を考慮したうえで、発言する本人の責任と覚悟と、相手への“愛”があって使うなら

──別に良い」


 高広氏に対して

『考えなしに軽々しく言った』
『ツイッター上では不適切』
『それで傷つく人の気持ちを考えてない』

 ……等の批判もあったようですが、観月はそうは思いません。

 高広氏には、考慮も責任も覚悟も愛も、全てあったと判断しました。

 前後の発言をちゃんと読めば、それは容易に理解できます。

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高広氏
 >自分のためだけに仕事してたら、死ぬ気で仕事、とかわかんないかもね。

 俺はこの業界が好きだし、今後も面白くあるために、魅力的であるために、この業界で死ぬ気だし、後継にも死ぬ気で仕事して欲しいんだよ。

 でないと後世に渡していけない。

 言葉を聞いてる人間、聞くであろう人間のことを考えての言葉の選択が大事なのであって、
 Twitterといえども万人にみられる可能性があるからと言っても、
 本来届けたい人以外のそれぞれの解釈にとやかく言われるスジあいはないと思う、

 というのが僕の回答。

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