その信頼は「死ね!」という下種の言葉から始まった[エッセイ]
「死ね!」という言い方にも、実はバリエーションがあった。


「コンクリに固められて海に沈んでしまえ!」
「セメントで固められて窒息死しろ!」


 他にも色々あったが、残念ながら覚えてない。

 よくもまあこれだけ思いつくものだ、と感心した。流石は国語教師。

 そうして一年が過ぎる頃には慣れてきて、むしろ次はどんな言い回しでくるのかと楽しむ余裕も生まれていた(笑)。


 ここで乙武氏の意見を抜粋。

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乙武氏
 >そう、いつしか慣れてしまうんだよね。だから、使ってほしくないなあと思う。

 高広氏も、

 「自分は業界内に向けて発信したのであって、文脈を理解できない外部の人間に向けて発したわけではないのだから問題ない」

 とおっしゃっているけれど、結局はRTによって“業界外”の僕の目にも触れた。

 それと同じで、その業界で育った方は「死んでよし」という言葉に慣れ、いつしか職場だけでなく、家庭でもわが子にそんな言葉を吐く人がなかには出てくると思う。

 そうして育った子どもは――と連鎖していくと思うんだ。

 だから、「業界内だからOK」という考え方に、僕はあまり賛同できない。

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 確かに「死ね」という言葉が、悪意を持って軽々しく使われるような世界になったら、観月だって悲しい。

 でも、一番多感な中学時代、恩師に「死ね!」と言われて育った私たちの学生生活は、

 そんな悲しい世界にはならなかった。
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