日蝕
分からなくなって、怖くなって、そういう時は決まって息をとめて思い出すまでじっと考える。思い出すまでの時間はまさしく恐怖だ。


 世界から一人置いて行かれたような感覚。時間にさえも見放されて、もっとも孤独な瞬間。

 



 壁に押しピンでとめてある仔犬の写真のついたカレンダーに、泳いでいた目がふととまる。
 こういう時のために、過ぎた日には黒の太い油性ペンで斜線がひかれてあった。
 芽衣は毎日を忘れやすい。

 何ら変化のない同じ日常が繰り返されていて、見分けがつかなくなる。
 今自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかも、分からなくなる。

 




 今日は9月3日。世界がそう決めたのだから、ここ日本はなんと言おうと今日は9月3日という日だ。それに口出しをすることはできない。
 問題はこの先にあった。


 今日は、9月3日は何の日なのだろうか。
 昨日は、9月2日は何の日だったのだろうか。

 


 今日の隣のマス、つまり翌日4日の欄には「お母さんの誕生日」とオレンジの細いペンで書かれてある。


 芽衣は思い出す。
 今日こそはお母さんの誕生日を買いにいかなければならない。買い物に出かける気乗りがしなくて、ついつい前日まで延ばしてしまった。

 



 そこで小さく安堵の息が漏れる。
 時間は無情だ。
 いつも思う。
 

 芽衣が混乱している時、動揺している時でも、また立ち止まりたい時でも、時計の針は止まってくれない。秒針が無情に刻々と時を刻む。残酷な宇宙の仕組み。
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