日蝕
 芽衣はきゅうりをつつきながら、今日するべきことを考え始めた。とりあえず、お母さんの誕生日プレゼントは買いにいっておいたほうがいいだろう。新しいお鍋がほしいと言っていたから、駅前のデパート内にあるキッチン用具専門店で買うのがいいかもしれない。



 艶やかな色の可愛い器具が多くて、見て回るのも楽しいはずだ。そうだ、バーガンディのお鍋があるならそれでもいいかもしれない。

 


 ついでに、デパート近くの花屋さんによって花束の予約もしておこう。黒縁めがねをかけたあの花屋のおじさんは、いつものように料金も組み合わせも柔軟に対応してくれるにちがいない。



 訪れるたびに早口で、気さくに雑談をもちかけてくれる。愛猫のミミが数日家出したとか、青のガラスでできた美しい花瓶を旅行中に見つけたとか、カスミソウの英名は「Baby’s breath 」だとか。
 



 朝食後、食器を洗い、洗濯物を洗濯機に押し込み、千夏おばちゃんに貰ったアルテシーマにコップ一杯の水を与えると、芽衣は部屋をでて日なたの中に足を踏み入れた。
 


 茶色のサンダル履いて。カツカツというヒールの心地のよい音を聞きながら。


 何も不満はない。
 

 幸子にはときどき窘められるし、平気だと告げると不審げな目で見られるけど嘘ではない。

 このまま、このどこまでも果てしなく続いてるような生活が最期まで繰り返されてもいいと思う。自分の生まれ育ったこの町で、現実に思い出を滲ませながら、ゆったりとマイペースに。気持ちの赴くままに、無意義なものを遂行する贅沢さを噛み締めて。

 アパートの駐輪場の近くには、やや季節遅れのツクツクボウシが鳴いていた。
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