プラスマイナス、
―――これこそが、俺の欲した“ひとつだけの鍵”
“ディラックの海”という宇宙空間にして、無から有を作り出せる、同質にして異質な存在。
斎木は目が離せなかった。
自分の調べてきたことは間違っていなかったのだと。
自分の望むユートピアが、今目の前に存在するのだと。
この世は、あまりにも醜い。
今、新たなる世界を作り出し、そして人類の望む理想郷を築いていこう。
微かな、けれども確かな希望が見えたと同時に、斎木は体の異変に気が付いた。
吉岡誠斗に乱暴に掴まれた左腕が、徐々に消失しつつある。
けれども動揺はしなかった。彼を、最強のマイナリーだと知ったからだ。
左腕はどんどんディラックの海に飲み込まれていく。
「やはり俺は、ただの人間だ」
斎木は自嘲気味に呟いた。
吉岡誠斗はなにも言わず、ただじっと斎木を見て、彼が完全に消失するのを待っている。
「君が心底羨ましいよ、吉岡くん」
左腕が完全に消え、肩が、そして胴体が、徐々にディラックの海に沈んでいく。
それは、最も静かで、優しい殺人だった。