あの夏を生きた君へ
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1945(昭和20)年、初夏。
戦争が暗い影を落としていました。
空襲が頻繁になるにつれ、生活はどんどん厳しくなりました。
食料など生活必需品は全て配給制(※食料など、ほとんどの物資が割り当て配給になった)でしたが、量も質も粗末になるばかり。
どこの家でも家庭菜園を耕して、食料不足を補おうと必死でした。
私は女学校に通っていましたが、もう勉強なんてほとんど出来ません。
町内の工場に勤労奉仕(※学徒勤労動員=日本中の学徒が法令により集団で軍需工場などに動員された)に行っていました。
作業場の監督は厳しく、のろまな私はよく怒られましたが、お友達とお喋りをしている時はそんなことも忘れられました。
「昨日も空襲があったね。」
学校のお友達の一人が、ぽつりと言います。
「うん。」
ここのところ毎晩のように鳴る空襲警報。
昨夜も灯火管制(※電球の周りを黒い布で覆って、明かりが外に漏れないようにして夜間の空襲に備えていた)の薄暗い光を頼りに本を読んでいた時、空襲警報が鳴りました。
私は、母と二人で慌てて防空壕(※空襲から身を守るために地面を掘って作った避難所)へ向かいました。
幸いにも、こちらにまで被害はなかったようですが、明日は我が身かもしれません。
不安は、いつも付き纏っていました。