Addict -中毒-
久しぶりにピアノを弾いた。
五分にも満たない短い曲。所々つかえたりしたけれど、それでも弾き終わった後はやり終えた感が私の胸の内側に広がり、妙に清々しくさっぱりとしていた。
啓人との人に言えない関係を吐露してしまったせいだろうか。
神様に懺悔をしたからだろうか。
それよりも何よりも、
私は―――……啓人と野球を楽しんだときのような興奮を、今ピアノに見出せた気がしたのだ。
その日私は、昨夜の疲れを滲ませた体を、嘘のように軽々とさせて楽器屋に脚を運んだ。
クラシック、オペラ曲。歌謡曲に洋楽。
思いついた譜面をすべて購入して、買った譜面をその日のうちに開いた。
―――
数日後、私が夕飯の支度をしているときに珍しく啓人から電話が掛かってきた。
先日買った譜面“ホワイトクリスマス”を口ずさみながら、ほうれん草のおひたしを作っていた最中。
何か庶民的だったけれど、どこが懐かしいゴマと醤油の香りがキッチンを満たしていて、その手を休めることなく、携帯を肩に挟んで会話をした。
『何か楽しそうだね』
啓人が電話の向こうでちょっと笑う。
「そうかしら?最近ピアノをまたはじめたの。それでじゃない?」
『ピアノを?今度聴かせてよ』
「だーめ。人に聴かせるほどのもんじゃないわ」
ちょっと笑いながら言ってやると、
『ケチ~』と啓人が電話の向こう側で口を尖らせたのが分かった。
余裕が出来たって言うのかしらね。
前なら年下の恋人の、待ち望んでいたはずの電話にうきうきそわそわしながら受け答えしていたのに、
いつもの私らしい会話ができている気がする。
それでも時々啓人は私の思いも寄らないタイミングで、思いも寄らない発言をしてくる。
『ねぇ紫利さんクリスマスイブは開いてる?』