坂道
「さあ、今日は花火大会だ。裕美は近くで花火を見るのは初めてだったよな。」


「うん。」


必死なまでの裕美の笑顔に、ケンジはやや興奮気味に話した。



「尾上が言うには、ここから見えるあの大きな岩の真横に、花火が上がるそうだ。」


「楽しみだね。」


「だろ、やっぱそうだろ。」


そう子供のようにはしゃぐケンジの顔を見て、裕美はつられるように笑い、そして寂しくなった。



そう、この笑顔をこうして傍で見ていられるのも、後二日だけ。


ケンジとは違い、確かな実感がある裕美には、その現実は鮮やかなまでに目の前に迫っている。



裕美は溢れだしそうな涙を必死でこらえているのが、隣に立つケンジには分からないように、反対方向の海を見た。



「おーい、飯だぞ。」


「おう。」


二人のいるところより、やや高いところに建っているバンガローの前で、朝食の魚を焼いていた土門の声に、ケンジは大声で返事をすると、裕美のほうを見た。



「じゃあ、裕美。行こう。」


そう言って、自分の右手を取るケンジの腕を、裕美は振りほどいた。



ケンジは予想もしなかった裕美の仕草に、呆然とした。



「ごめん、ケンジくん。香澄たちを起こしてこなきゃ。」


そう言って裕美は、今にも砕けてしまいそうな心を抱えたまま、香澄たちの眠るバンガローへと走っていった。



そんな後姿をケンジは、ただ見つめることしか出来なかった。




二人のそんなやり取りを、丘の上から土門は黙って見ていた。
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