坂道
「ケンジくんは、この木を植えたときの気持ち、変わってない?」


そう言って、裕美はケンジの顔を覗きこんだ。



「変わってないさ。」


「本当?」


心配そうな裕美の顔に、ケンジは大きく頷いて言った。



「ああ。」


ケンジのその返答に、裕美の顔に満面の喜色が浮かんだ。



「ありがとう。それだけ聞ければ、もう悔いはないよ。」


その言葉にケンジの胸は張り裂けそうになった。



そう、別れの時は間違いなく近づいている。



少しずつ気持ちの整理をつけている裕美に対し、自分はどうなのであろうか。



「ねえ、ケンジくん。一回家に戻ってきていいかな。」


「どうして?」


残された時間がわずかになってからの裕美の申し出に、言葉に出来ない寂しさに支配されたケンジは、不安になりそうたずねた。



「どうしても、取って来たい物があるの。」


「・・・分かった。」


ケンジは、もう片時も離れたくはなかったが、裕美の手を合わせてお願いする様子を見ると、彼女の気持ちを尊重してそう返事をした。



「じゃあ、あの坂で。」


裕美はそう言ってケンジに背中を向けると、駆け足で走り去っていった。



一人取り残されたケンジは、傍らに植えられた、木の枝を右手で取った。



そこには、まだ裕美の温もりが残っていた。
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