坂道
「いやだ。裕美がいなくなるなんて、俺はいやだ。」


「ありがとう。でも、もうしょうがないの。」


そう子供を諭すように言うと、裕美は天を見上げた。



その動作に呼応するかのように、黒い天がふたつに裂け、その切れ間から二条の光が差し込んできた。


その光は、一直線に裕美に降り注ぎ、今にも消えそうなその体を、優しく包み込みはじめた。



「ケンジくん。私、もう行かなきゃいけないみたい。」


そう言う裕美を、泣きながらケンジは、もう一度、強く抱き寄せた。



そんなケンジの体に、裕美もそっと優しく腕を回した。



そんな二人を包むように、輝く雪は降り続けた。


坂の道路沿いに植えられた街路樹にも、道路のアスファルトの上にも、そして二人の頭の上にも雪は降り、そして、裕美の体の輪郭と共に消えて行く。



「ケンジくん。ありがとう。」


「いや。俺は、裕美に結局、何もしてあげられなかった。」


裕美はそう言うケンジの言葉に、大きく首を振った。



「ううん。私はわかったの。」


裕美は、まっすぐな顔で言った。



「人間が生きていけるのは、誰かを思っているからだと思うの。」


ケンジは、胸の中にうずめられた裕美の顔を、力なく覗き込んだ。



「あの人と今いっしょで幸せだから、あの人と明日会えるから。そして…、あの人といつか会えるから。」


裕美はそう囁くと、顔を上げた。



「そんな思いが、生きたいという気持ちを生むんだと思う。私は、高校時代も、東京に行ってしまってからも、いつでもケンジくんが、そういう存在だったんだ。」



裕美はそう言うと、壊れそうな笑顔を浮かべ、そして、ケンジの唇に軽くキスをした。
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