海までの距離
「こ、ども…」
渇いた口から漏れた声。
それなのに、握り締めた拳の中は汗で湿っぽい。
不意に、いつかバスの中で見かけた妊婦さんの姿を思い出した。
ふくよかな身体つきに、丸く膨らんだお腹。
有磨さんのか細いその身体を、その妊婦さんと重ねることができない。
「彼に伝えたら、『堕ろせば?』の一言。いくらなんでもさ、信じられないよね?」
自嘲する有磨さんに、返す言葉がない。
「結果から言えば、どうしようどうしようと悩んでいるうちに流産してしまって。それでもそいつは他人事。その時、私を守ってくれたのが海影だった」
海影さんの名前が出てきたことに、私の身体はぴくりと反応する。
「そいつが海影に私のこと、言っていたらしくて。そいつのこと、殴ってくれてさ。私に土下座させて、『LOTUSから追い出す』って言ったんだ。私としてはLOTUSがなくなるのは嫌だった、だけど彼は自発的に脱退を決めて…結局、それが理由でLOTUSは解散。当初、この話を知っていたのはメンバーと私だけ。海影のお陰で、この話が外部に漏れることはなかった」