From Y
 前の席の矢野由輔と初めて話したときのことを、柚はあまり覚えていない。後ろ姿ばかりの矢野由輔が振り向いたとき、見覚えのあるような顔だと思って首を傾げ、
「どっかで会ったことある?」
 いわゆるナンパの常套句を放ってしまったことだけは鮮烈に覚えているが。
 席が近いこともあっていつの間にか矢野由輔と仲良くなり、お互いが「高校に入って初めてできた友達」になったのは、桜吹雪が葉桜に移った頃だったと思う。それから更に時が経ち、呼び名が「矢野くん」から「由輔」にシフトした。

***

 文化祭の会館公演から帰宅し、柚はメールで由輔に宣言した。
【私、彼氏と別れようと思うんだ】
 クラスメイトに「付き合ってんの?」と聞かれるほど由輔と仲の良かった柚だが、彼氏は別に存在していた。
【そういうのは本人と話し合ってみるべきでは?】
 至極まっとうな返信である。
 柚は彼氏より自分を理解しているこの友人に、今までの恋愛遍歴を説明してみようとメールを組み立て始めた。

 付き合ってから二年半になろうとしていた彼氏は柚より一つ上で、隣町の男子高に通っていた。優しいだけが取り柄の海藻系男子だった。二年連続でそれぞれが受験生だったため、遊んだ日が記念日になるくらいに遊ばなかった。加えて彼氏は筆不精で、柚が中三のときに月一で出していたハガキは年賀状を除いて全無視、携帯を持ち始めた柚にメールを寄越すこともほとんどなかった。
 彼氏が中学を卒業してから一年、家はご近所レベルで近いのに遠距離恋愛状態だった柚のココロは、本人も気づかないうちに随分と脆くなっていた。
 文化祭でクラス展示のない一年生は、市民会館で合唱コンクールを行う。
 歌い終わって座席に戻り、次のクラスの合唱が始まったときだった。
「どうした?」
 由輔は、突然泣き始めた柚に尋ねた。自分も誰かに聞きたかった。なんで歌を聴いているだけでこんなに泣けてくるのか、確かに彼氏が卒業する年に聴いていた思い出深い歌だけど――ああ、
 思い出深すぎるから、こんなに悲しいんだ。
 冷淡としか思えないくらい音沙汰のない、素っ気ない彼氏。彼氏の卒業を受け入れられなくて、「春なんか来なければいい」と泣き続けた夜。その頃の気持ちが一気に甦ってきて、どうしようもなく苦しかった。
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