桜が散るその日
「その。勢い…のような感じ、です」
怒っただろうか?奏は恐ろしくて、彼を直視できないでいた。
 本当に悪気なんて、これっぽっちもなかった。本当に勢いで、とっさに口から出てきた。そんな感じでしかなくて。
 気にしていないように見えたのに、こんなにも根に持っていたなんて。後悔と恥ずかしさから、また変な行動にでてしまいそうだった。
「別にいい。下手なのは事実だからな」
服が汚れることを気にしないのか、彼はその場にすとんと腰を下ろした。そして、空を仰ぎ見る。まるで、かごの鳥が自由を求め、かごをつつくかのように。
「バイオリンに憧れて始めたはいいが、独学では限度がある」
「それなら、先生をつければいいじゃない」
奏も椅子から降りて、地面に腰を下ろす。彼の隣に。近くにいけば彼の気持ちがもっとわかるかもしれない。今日着ているのが、真新しいあんなに汚れるのを気にしていたものだと、奏はすっかり忘れていた。
「親が反対する。俺は、跡取りだから」
奏にはよくわからなかった。跡取り息子だから、何だというのだろう?どうして、好きなことができないのだろう?大人になれば、自由になれるのに。自分がどこの誰で、どこの家の出身かも関係なく。
 奏はそう信じていた。
「あなたは、家を継ぐの?」
「当たり前だろ」
何を言っているんだとでも言いたそうな彼の顔に、奏は少しむっとした。そして、やはり彼の言っていることが理解できなかった。家を継ぐかどうかは、自分で決めるのではないのだろうか。彼は、まるで、義務、鎖のように言った。
 首をかしげることしか、奏にはできなかった。
「それなら、私が先生になってあげる」
「え?」
「知識はないけれど、一人で練習するよりいいわ」
名案だと思った。しかし、彼はそうでもないのかやはり眉を寄せていた。
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