桜が散るその日
 奏はそんな反応をされて驚いてしまった。彼はもちろん喜んで賛成するものだと思っていたのだから。
 奏の思い込み?
「あんたが、俺のバイオリンを?」
「え、ええ。そうよ。不満かしら?」
きょとんとしたような顔をして、じっと奏を見つめる。あまりにも熱心に見るのもだから、奏は頬を赤く染めて視線をそらした。
 そんなに見つめなくてもいいじゃないか。言いたいことがあるなら言えば済む話だ。なんとなく奏は自分がおかしなことを言ったのだと自覚した。
 いやならいやと言えばいい。だめならだめと早く言って欲しかった。
「そうか」
そうつぶやくと、彼はゆっくりと立ち上がった。
 怒ったのだろうか?呆れたのだろうか?
 奏の胸はこれ以上ないぐらいに大きく早く鳴っていた。
 桜の木の下までいくと、彼はバイオリン弾き始めた。
 奏の惹かれた、あのぎこちない澄んだどこか悲しい音色が響く。一瞬にして、世界が変わったような気がした。奏の世界の色合いが変わった。そんな感じがした。
 早く散らないかとしか思っていなかった、満開の桜をこんなにも綺麗だと思ったのは初めてだった。
 奏はただこの世界に酔いしれることしかできないでいた。バイオリンの音に聞き惚れて、バイオリン奏者に見とれていた。
 なんの曲かは知らなかった。しかし、どこか悲しい。それを感じ取れた。
 演奏はいやでも奏者の感情を表すものだろうか?
 この前聴いたバイオリンと違って、心に響く。
 技術的にはこの前聴いた、どこかの財閥の息子が弾いていたバイオリンが上だった。しかし、心に響くものは全くなかった。心が、こもっていなかったからだろうか?
 知らないうちに、奏の目から雫が次々と流れていた。
 演奏していた彼は、それを見て手を止めてそれに見ほれていた。綺麗な涙。どうして泣いているかは知らないけれど、とても綺麗だった。
 目を見開いて彼がこっちを見ているいるから、何事かと思って奏は頬に触れる。指先がほのかに濡れた。
 泣いていることに気づいた奏は、手でごしごしと目をぬぐった。自分がどうして泣いているのか、奏ではわからなかった。
 ぼーっとしていた彼ははっと我に返って奏のそばによる。いかんせん、その涙をぬぐうための布を持ち合わせてはいなかった。
 そばにいることしか、できなかった。
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