桜が散るその日
 贈り物なんか、なくてもいいかもしれない。これが見られただけで満足。
「仕方ない。気に入らなくても、文句は受け付けないからな」
「保証はできないかな」
私の嘘つき。
 奏では心の中でつぶやいた。保証もなにも、気に入らないなんて今までになかったし、彼からの贈り物を気に入らないわけない。彼からの贈り物なら何だって嬉しい。
 すっと立ち上がった桜田。贈り物を取りに行くのだろうか?
 しかし彼はそれはせずに、じっと奏を見ると向かい側にあるアンティーク調の椅子を指さす。いつの間にかバイオリンを聞くときの特等席になっていた場所。どういうことなのだろうと奏が首をかしげると、桜田は顎で行くように促した。
 理由はわからないけれど、彼がそういうのだから行くしかないのだろう。奏はのろのろと椅子まで歩く。たった一日、いや、それ以下の時間座っていなかっただけなのに、椅子には草が乗っていて綺麗とは言えない状態だった。
 今更だけれど、着物が汚れるのはいやなのでさっさとそれらを払い落とす。
 これで座れると一息ついたとき、後ろから糸の震える音。よく聞き慣れた、バイオリンの音が聞こえた。
 驚いて振り返ると桜田がバイオリンを奏でていた。不思議。もうすべて散ってしまったはずなのに、薄桃色が宙を舞っている。
 目の錯覚?それとも、このバイオリンの音、曲のイメージ?
 とても美しかった。
 いつもは無表情、というか、締まりがないような顔が、バイオリンを奏ているときは凛と澄んでいる。きりっとしているとはちょっと違う気がするけれど、そういう感じなのだ。
 どう言っていいのだろう。今の彼を表現する言葉はあるのだろうか。
 桜。舞い散る桜なんかじゃない。空に咲き誇るうす桃色の桜だ。
 今の彼をたとえる言葉。こんなのじゃ、まだ足りない気もするけれど、奏の知っている言葉ではこれが精一杯だった。
 椅子まで歩いて行って、汚れを落としたのに、奏はそれに座らずに立ったまままぶたを閉じた。
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