桜が散るその日
「お化粧道具を出しておきましたからぁ」
先ほど奏が脱いだ着物を手に持っている斉藤さんが、棚の上を指す。そこには、あまり見慣れないものがいくつか置いてあった。
「化粧道具?」
聞き慣れない言葉でもあった。
慣れた手つきで髪を結い終わった奏は、普段この部屋にはないものを見つめて首を傾げた。
化粧をしたことがないわけではなかったけれど、化粧道具が部屋に置いてあると言うことはなかった。化粧はいつも斉藤さんにしてもらっていたから。
そもそも、どうして化粧を?
「そうですよぉ。この前、お化粧の仕方を教えましたでしょう」
「……教えてもらってないわ」
全く身に覚えがない。
沈黙。
「あらあら、私としたことが。忘れていましたぁ」
へにゃっと顔を崩した斉藤さんには、特に焦った様子もなければ、悪びれた様子も微塵にも見えない。これでいいのかなんて心の中でつぶやいてみたが、これが斉藤さんなんだと心から返答があった。頷ける。
「じゃあ、今日は私が化粧をしますねぇ。教えるのは、また後日にでも」
「後日…」
そんな日が来るのだろうか。そうつぶやこうとしたのを、ため息に変えてはき出す。斉藤さんは丁寧に着物を床に置くと、奏の横に座る。あ、お香のいい匂いがする。お香の好きな斉藤さんは、いつもいろんないい匂いがして、どこがほっとする。
奏も斉藤さんと向かい合うように座る。
そしてまた、短い沈黙。
「お嬢様。申し訳ありませんが、お化粧道具を取ってくださいますかぁ?」
それを聞いて奏も気がついた。化粧道具は今、斉藤さんの座っている位置からでは手の届かないところにある。そして、奏が手を伸ばせば届くであろうところ。どうしてわざわざ化粧台ではなく、その隣の棚の上に置いたのだろう。きっと、なにも考えてはいなかったのだろう。断言は出来ないが、否定は出来ない。その方が断言されるより、酷いと思うけれど。
奏は手を化粧道具に手を伸ばしながら、不満を心の中でつぶやいていた。
そもそも、お手伝いさんが雇い主を使うって言うのはどういうことだ。いいのか?自分で立って取りに行けばいいのに。全て、斉藤さんだからで片付いてしまうのが、なんだか怖い。いや、斉藤さんのそんなところを奏はもちろん、母様も父様も気に入っていた。父様にいたっては、娘みたいに可愛がっていた。小さい頃からお屋敷にいるのだから、当然と言えば当然か。兄様だけが、斉藤さんにしょっちゅう突っかかっている。斉藤さんに一番厳しい。小さな失敗でも、長い長い説教が待ち受けている。それをのらりくらりかわし、こたえない斉藤さんってすごいと思う。兄様があんなにも他人に突っかかることは珍しい。兄様は、嫌いな人、興味のない人には関わらない人なのに。奏が知っている限りでは、斉藤さんだけだった。兄様があんな態度をとるのは。
先ほど奏が脱いだ着物を手に持っている斉藤さんが、棚の上を指す。そこには、あまり見慣れないものがいくつか置いてあった。
「化粧道具?」
聞き慣れない言葉でもあった。
慣れた手つきで髪を結い終わった奏は、普段この部屋にはないものを見つめて首を傾げた。
化粧をしたことがないわけではなかったけれど、化粧道具が部屋に置いてあると言うことはなかった。化粧はいつも斉藤さんにしてもらっていたから。
そもそも、どうして化粧を?
「そうですよぉ。この前、お化粧の仕方を教えましたでしょう」
「……教えてもらってないわ」
全く身に覚えがない。
沈黙。
「あらあら、私としたことが。忘れていましたぁ」
へにゃっと顔を崩した斉藤さんには、特に焦った様子もなければ、悪びれた様子も微塵にも見えない。これでいいのかなんて心の中でつぶやいてみたが、これが斉藤さんなんだと心から返答があった。頷ける。
「じゃあ、今日は私が化粧をしますねぇ。教えるのは、また後日にでも」
「後日…」
そんな日が来るのだろうか。そうつぶやこうとしたのを、ため息に変えてはき出す。斉藤さんは丁寧に着物を床に置くと、奏の横に座る。あ、お香のいい匂いがする。お香の好きな斉藤さんは、いつもいろんないい匂いがして、どこがほっとする。
奏も斉藤さんと向かい合うように座る。
そしてまた、短い沈黙。
「お嬢様。申し訳ありませんが、お化粧道具を取ってくださいますかぁ?」
それを聞いて奏も気がついた。化粧道具は今、斉藤さんの座っている位置からでは手の届かないところにある。そして、奏が手を伸ばせば届くであろうところ。どうしてわざわざ化粧台ではなく、その隣の棚の上に置いたのだろう。きっと、なにも考えてはいなかったのだろう。断言は出来ないが、否定は出来ない。その方が断言されるより、酷いと思うけれど。
奏は手を化粧道具に手を伸ばしながら、不満を心の中でつぶやいていた。
そもそも、お手伝いさんが雇い主を使うって言うのはどういうことだ。いいのか?自分で立って取りに行けばいいのに。全て、斉藤さんだからで片付いてしまうのが、なんだか怖い。いや、斉藤さんのそんなところを奏はもちろん、母様も父様も気に入っていた。父様にいたっては、娘みたいに可愛がっていた。小さい頃からお屋敷にいるのだから、当然と言えば当然か。兄様だけが、斉藤さんにしょっちゅう突っかかっている。斉藤さんに一番厳しい。小さな失敗でも、長い長い説教が待ち受けている。それをのらりくらりかわし、こたえない斉藤さんってすごいと思う。兄様があんなにも他人に突っかかることは珍しい。兄様は、嫌いな人、興味のない人には関わらない人なのに。奏が知っている限りでは、斉藤さんだけだった。兄様があんな態度をとるのは。