桜が散るその日
 灰色の空から、世界を染め上げた白い白い結晶が降りてきた。
 桜の君は目を細めてそれに手を差し伸べる。
「立派な道化だな」
指先に落ちた雪のような、痛いと感じてしまう冷たさが込められた言葉が不意に刺さった。
 奏は思わず手を引っ込ませる。奏は驚いて見開いた目で、隣にいる明を見る。
「どうされたのですか?」
雪のように名残だけ残して、冷たさはどこかへ消え去っていた。
 隣にいた明の声は、いつものように気遣いだらけの優しい声。表情だって、気持ち悪いくらい柔らかくて穏やか。
 評判通りの朔家の御曹子、朔明。それがそこにあるだけだった。
 しかし、勘違いなんかじゃない。雪のように冷たさは消えてしまったが、そこに確かにあった。姿を隠してしまっただけで、なくなったわけではない。
 喉から声が出てこない。息をすることさえ難しい。頭が真っ白になって、雪に触れた手を抱き寄せていた。それが震えていることすら気付いていなかった。
「今日は、お疲れのようですね。では、また後日」
こちらを向き、人畜無害そうな優しい笑顔をする明。奏は思わず顔を背けてしまった。明の目が全てを見透かしている。そんな脅迫的な感覚から、奏は明を見ることが怖かった。
 奏の返事を待たずに足音が遠ざかっていく。
 奏はその背すら見送ることが出来なかった。
 笑えないのに、おかしいと思った。
 悲しくもないのに、視界が歪む。
 照れてもいないのに、顔が熱い。
 奏はおもむろに着物の袖を握りしめる。そして、顔を強く擦る。
 何度も何度も、強く強く。
 袖は涙と化粧で汚れていった。擦る度に、汚れていった。
 それでも、奏の化粧はただ崩れるだけで拭い取ることは出来なかった。
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