桜が散るその日
 しかし、それは一瞬で元の顔に戻ってしまった。なぜこっちをそんなに見るんだと言いたそうに、眉を寄せた。
「だって、笑ったのだもの」
彼は、もっと眉を寄せた。まるで、拗ねたような顔。
「俺が笑うのが、そんなに珍しいのか?」
「だって、あなたが笑ったの初めて見たのだもの」
彼の手から離れた奏の手は、彼の頬をつねった。片方だけではあきたらず、もう片方の方もつねる。
 ぷにっと柔らかい感触とさらさらした綺麗な肌に、奏はどうしてか至福な気分がした。思わず顔がゆるんでしまう。
 すると、つねられているはずなのに彼は笑った。
「俺は、あんたのその顔がおかしいと思う」
「まぁ、ひどい。女の子にそんなことを言うの?」
「ひどい?」
とぼけているようには見えなかった。しかし、とぼけている方がいいような気がする。
 何のことだとでも言いたそうな、きょとんとした彼の顔には悪意のひとかけらも見えない。
「褒め言葉のつもりだが」
「どこが?」
けなされた気はするが、褒められた気はしない。いったいどこをどのように褒めた?
 奏にはまったくわからなかった。
 しかし、悩んでも仕方ないと目の前で真剣に悩んでいる彼を見て、奏はあきらめた。きっと、彼自身もわかってないに違いない。
 あぁ、なるほど天然か。そう気づくのには時間が必要だった。
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