泡沫の夢
「くそっ……!」
見逃された。鬼に見逃された。陰陽師として、一番恥ずべき事実。
「くそっ!!」
ドンと地面を殴る。
動けなかった。あの鬼が持つ力の前にどうする事も出来なかった。
それ以前に、記憶の中と現実が混同してしまっていた。
「おい。」
後ろから突然声をかけられる。だが、その声には反応せず地面を殴り続ける。
「やめろ。手が潰れるぞ。」
上に振り上げた手を制し、彼が言う。
陰陽師、安倍晴明。
私の従兄弟であり、朝廷行事から貴族の私情に至るまで全てをこなす。いわゆる天才。
「終わった事をいつまでも悔やんでいても仕方がない。帰るぞ。」
晴明は私の腕を掴んだまま立ち上がらせ、歩き出す。
「報告しないの……?」
陰陽師にとって、鬼に見逃されると言うのは最もしてはいけない重罪。
陰陽師を追放される事だってあるのだ。
冷酷で有名な晴明だったら、真っ先に式神を使って報告するものだと思っていたのだけれど………
「あの鬼灯と言う鬼も言っていただろう。『お前はまだ弱い』と。裏を返せばもっと強くなれると言う事だ。
今ここで報告すれば、お前は確実に陰陽師追放だ。可能性を潰すのは勿体ないからな。」
「えっ?」
驚いた。あの晴明が勿体ないって言うなんて!!
「何を驚いている。」
一気に不機嫌な顔になる。
って……ちょっと待てよ?何で晴明が鬼灯の名前を知ってるんだ?まさか………!!
「晴明!いつからあそこに!?」
「ん?まぁ初めからだな。」
…………。晴明にだけにはあの醜態を見られたくなかった。
だって――………
「にしても、あの有り様は滑稽だったなぁ。久々に笑ったぞ。」
くくっと笑う。それはとてもとても意地悪な笑みで。
「うるさい!仕方がないだろ!」
この事でいつまで弄られるか。考えるだけでも気が重くなる。
「いいか。情だけは遷す(ウツス)なよ。」
とたんに真面目な顔になって言った。
『情を遷す』
この時の私には何の事だか分からなかった。
晴明がどんな事を予期して言ったのかも、この言葉の意味も。
まだ何も分かっていなかったんだ―――………