one day
 僕はもう一度ドア越しに尋ねた。
「どちら様ですか」
 しかし、返事はない。もしかしたら、耳が聞こえないのかもしれない。そう思い、仕方なくドアを開けた。
女の顔を見ると、一瞬泣いているのかと思ったが、雨で濡れているからそう思っただけだったようだ。なんとなく、洒落た事でも言わなければいけない気がして、「冷たいパスタがあるけど、食べますか?」と言った。
だが、そんな僕の混乱をよそに彼女は「暖かいものが飲みたい」と言った。

 3回も「どちら様ですか」と聞くのはなんとなくバツが悪く、失礼な気がしたので、そのまま、何も言わず中へ入れる事にした。こちらが、そこまで卑屈になる事はないのだが、その女のどこか凛とした空気に流されていたのだと思う。その女はどこか共産圏で生まれ、子供の頃にすぐに西側に亡命し、学者の父とよくしゃべる母にとても健全に育てられたような印象を僕に与た。それに、コートを脱ぐと、とてもしなやかな手足をしていた。顔つきは、飛びぬけて整っているという感じではなかったが、好感の持てる顔立ちだった。
 平たくいうとかなり僕のタイプの女だった。部屋に入れるのを拒む理由は何もない。

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