感想ノート
こちらでの『アイゼンハイムからの招待状』のネタバレ禁止発令。「リンク作品として貼ってあるだけで、既にネタバレかと思うけど」大丈夫です、そーちゃん。確信的な部分には触れていないから!「いやいや、それ、二次元の世界に行ける並みの幻想だ……」
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空波 刻羅 2014/03/22 12:25
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(あ!ヤンクミはもちろん先生です。最後まですいません。)
*蜜柑畑 2014/03/22 03:42
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*4
死刑から逃れることが幸せではなかった。そんなそうちゃんだからこそ、これでよかったと思いました。
ただ希望通りにしたわけじゃない先生が素敵です。
あの豚さん……。きっと、何かやらかすだろうな。あたしだったら手を打ってしまっているな。と思いましたが、手を打たなくてよかったですね。最高のタイミングでした。
何もかもが上手くいき、ハッピー中のハッピーデッドではないでしょうか。
感覚だけで言えば、ごくせんのような所がありました。ヤンクミ並みに心強かったです。
ああ……。こんなに長々しく語っておきながらやっぱり言いたいことが上手く言えていないような気がしてならないです。
ともかく、この作品は最高である。主人公と共に葛藤し、悩み、苦しみ抜いた最後は幸せで、魔法使いとゆうファンタジー要素がありながらとても人間味溢れる物語でした!!大好きです!!!!!*蜜柑畑 2014/03/22 03:40
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*3
先生だからこそ救われたのですよね。犯罪に加担するような人はいないだろうし、自首して何とか罪を軽くしろと諭す人がいるにして、現れたとしても、そうちゃんはもう罪を犯しすぎていた。
時を戻すことでもしない限り、死刑は免れない状態で、自首=死刑ですもんね。死刑=自殺の考えではやはり…。逃げ道はありませんもんね。
うーん……やはり言葉にしようとすると、あたしには難しいですね、あくまでもあたしの捉え方ですが
先生に出会った時、先生ではなく他の人なら警察に通報して、結局は死刑で終わりだけれど、それだけでは最後の方で見せた嬉し涙や笑顔は出せないだろうし、ましてや幸せだ。なんて思えないで終わっていたことでしょう。
ゴールのないはずの迷路の中で、あんなにまで晴れ晴れした気持ちにさせた先生はやはり凄いです。あんな大層なこと普通できません。
最後、先生にちゃんと会えたことにも感動しました。あたしもあのままでは心残りだったので、警察署を出たときはホッとしましたよ。会うまでは、会いに行けるかな?間に合うかなとドキドキしていましたが。
そうちゃんが幸せになれて、こっちまで幸せな気分になりました。先生に感謝してもしきれない気持ち、物凄く伝わりました。
いずれ人は死ぬものです。災害や病気などで突然死もあることでしょう。こんな風に、幸せだったなと振り返り死ぬことが出来るなんて、とても幸せなことだと思います。したくても出来ない人は多いのではないでしょうか。
そうちゃんが死刑になるまで苦しみ抜いたこと自体が償いであり、先生はそれをちゃんと見守り、諭し、気付かせた。
もしもこの話が、そうちゃんが死刑を免れた、そうちゃんが捕まらずに償わずに済む方法を先生が魔法を使って……等の下手に甘い内容だったらあたしはこんなに長々語らなかったでしょう。*蜜柑畑 2014/03/22 03:25
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*2
まず出だしですね。おふざけから始まり、そうちゃん相変わらずだなあ…。どんな作品になるのかなとワクワクしていましたよ。
雫ちゃんが登場したときなんて、おお!久しぶり!と、同窓会気分でした。
そんな楽しい始まりから一転、そうちゃんの苦しみを知り、もうこちらまで胸がぎゅーっとしました。そうちゃんの人間味を感じることができました。
そして、どこにも脱け出すことがでにないゴールのない迷路のように現実が苦しいだろうと、悟り……。
例え、死刑を免れても、例え、一生捕まらなくても、そうちゃんは救われることはない。もし捕まらないのであれば寿命が来るまで苦しみ続けるのだろう、そう思いました。
そうちゃんとは違い、憎しみしかなかった人でさえ、刺した感触は消えることがない。と、耳にしたことがあります。それが愛する人となれば、より鮮明なのでしょう……
先生と出会い、どうなってゆくのか物凄く不安で、そうちゃん以上に警戒心の強いあたしでしたが、次の日を迎え、先生に会っている所でもう安心しました。この先生はきっと大丈夫だと。それは先生は、茶神様と姫様が語り合っていた、姫様に似ておられるなぁと思ったからです。
何が善悪か、決めるのはとても難しい。先生の行動は、善悪関係なく神様でもなく、やりたいことをやるだけ。ただそれだけなのだと。
だからこそ最後に国本刑事は、あなたはやり過ぎるところがある。と言ったり、あまり派手にやって私に見つかるとその時はあなたとはいえ……と、釘を刺したのですよね。善人のようで、犯罪に加担してしまう所があるから。だからこそ、殺人を犯し苦しみもがいたそうちゃんにとっての神様だと……。*蜜柑畑 2014/03/22 03:01
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*1
や、やばいです……!!!めっっっっっちゃくちゃ感情移入しました!!!!あたしが今まで読んだ小説の中でもトップ3に入ります!!
でも上手く表現できないこの感動が……!!もどかしすぎます!!!!(;´д`)
作品を長々語ったところで、″あなたがねぇ……ああ、そうですか。″くらいにしかきっと、思われないのだろうと毎回どの小説にも思うのです。″そんな意図であたしは書いてないし、あなたはそんな捉え方しかできないのですね。なんて薄っぺらい人″と、思われるのがオチだと。←ひねくれ者。
だからこそ、感想ノートには作品に対する感想は当たり障りのないことしかなるべく書かないようにしているのです。あっ、そう。と返されてしまっては感動したことさえも悲しくなってしまうので、自分の中でとどめるのです。そんな作中の文章に感動したとかゴタゴタ書いても、結局は同じこと二度言ってるようなものでだから簡潔に言うと感動したってことだろ。と、あたしなんかの言葉は無駄と思うので。こんな素晴らしい文章に感想を述べるなんて失礼だとも思ってきました。←何のための感想ノート。
でも、溢れるこの気持ち!!←
今回はビッシリ書きます。って、もう前置きが長すぎてもうすでに大変なことに(;´д`)こんなんだから嫌なんですよね………うだうだ……。
これを見ていただければ分かるようにあたしが本気の書き込みをすれば……もう……。邪魔でしかないのです……。まあ、これが最後だと自身に願います……。
って結局、まだ作中のこと何も触れてない!!!*蜜柑畑 2014/03/22 02:33
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(三)
ついで、動機に関しては、ここではあまり語らなくてもいいと判断いたしました。これだ、とした動機――“殺人の上塗り”とだけあり、そーちゃんがなぜ“ああなったか”の動機、小鳥遊さんについては別作でもう書いたあとでして、なれば今作は続編とすべきですが、そちらを見ずともこちらはこちらで読めると判断した、私めの甘さがあります。
そこは申し訳ありません。
しかしながら、こちらだけでも読める人がいたのは事実でして。分かりにくい、分かったは読者様にお任せしております。
無責任な私ですが、他に上手いやり方というのを思い付きませんので、『リンク作品』とさせていただいております。
どうか謝らないでくださいませ。こうして言葉を連ねましたが、ここまで読んでくださってくれて――私の長い文を最後まで読んでいただいだけで、こちらが『分かりづらいのならば、すみません』と言いたくなりますので。
応援等の黒鼠さんのお言葉は素直に受け止めさせていただきます。
長い文をお読みいただき、ありがとうございました。どうかあとはゆっくりとお休みくださいませ。空波 刻羅 2012/04/28 23:04
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(二)
手遅れでしたが、それでも思い直せた。先生に会わなければ、きっとそーちゃんはずっと、何が救いかも分からず人を殺し続けることでしょう。
先生のやり方は片寄っているのは確かです。ただ、そーちゃんは救われたことは間違いではありません。
分からない場合はそのままで結構です。そーちゃんの『幸せだ』『満足だ』の想いを見てくださり、そーちゃんに最後まで付き合っていただいただけでも、黒鼠さんは立派な読者です。
未だに救われたかどうかがうやむやなのは、私の言葉不足か、もしくはそーちゃん(あるいは登場人物すべて)の思考がそもそも『普通では理解できない』ということもありますので、無理して合わせることもありません。
吸血獣に関しては、たまたまその場に居合わせた人と見てくださってください。吸血獣の物語はあるにはありますが、あれはあくまでもそーちゃんの物語にたまたま“居合わせた”ようなものですから。
人に道を聞かれるがごとく、人生というのは誰と触れ合うか分からず、触れあった全ての人を“全てお見通し”とはなりません。物語の主役たるそーちゃんにとっては、“分からなくてもいい、その場限りの人”でしかありませんから。
読者向けではないとは思いますが、あくまでもこれはそーちゃんの物語ですので、今回の吸血獣は“道すがらに偶然会った人”ほどの役目を与えています。
申し訳ありません、また分割させていただきます。空波 刻羅 2012/04/28 23:02
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黒鼠さん
二度のご足労、申し訳ないです。
人の主観はさまざまですから謝る必要はありません。
そーちゃんが幸せだ、満足だと言っていたのを覚えていただければ、もう十分かと思います。
それでもなお、そーちゃんを止めてほしかった、幸せと思える結末を迎えてほしかったと、そこまでそーちゃんに思いやりを持っていただき、ありがとうございます。
先生については、『これがソウにとっての最善たること』と思っての小狐丸譲渡です。
先生と会った時点で、もうそーちゃんは“手遅れ”でした。
止めたところで、そーちゃんの行く末は変わらないし、何よりも、そーちゃんの願いは
『死にたいでもない、生きたいでもない。僕は殺されたいんだ』に尽きます。
それこそが、そーちゃんのこの因果を“止めてほしい”という表れですが、先生に出会い教えられるまでそーちゃんは何が救いかも分からず、この願い自体も気づかずにいました。
故にそーちゃんは、先生に救われました。
何が救いかも分からなかったそーちゃんが初めて、やっと自分自身と向き合えました。
「殺してもいい輩」は確かに残酷ですが、先生なりに『そんな奴を見てきた』という現実を見たからこその言葉です。
そーちゃんが今まで殺してきた人たちを“読んで”こそ、渡した小狐丸が別の誰かに渡るよりは、そーちゃんが適任だとも思い。
そーちゃんにとっても、自身の殺意と向き合えるモノを手にいれ、小狐丸がなくなった時に『僕にはもう誰も殺せない』と改めて、けじめとして、見て分かる形として、そーちゃんはやっと“止まれた”と実感できました。
長いので分割いたします。空波 刻羅 2012/04/28 22:56
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黒鼠さん
お越しいただき、ありがとうございます。
そうですか、報われない物語とは……そう見えてしまう方もいらっしゃいますよね。
そーちゃんが一番可哀想と言うならば、よほどそーちゃんに幸せな日々を送ってほしいと――そーちゃんにとって報われる物語であれと、そんな風に思ってくださるお優しい方と察します。
なれば、あの結末は結局『そーちゃんは可哀想なまま』と映るのは仕方がないこと。
ただそーちゃんが最期に『幸せだ』と言ったことを、どうか忘れないで、汲み取ってください。
他の人が報われていないと言おうとも、そーちゃんの中では、やはり『満足だ』と言うことがあるのをお忘れなきようお願いします。
リンク作品に関しては、あくまでも物語の補助的(一部の)な存在でして、これだけでも問題はないのですが、一つの作品では語れないほどそーちゃんの物語は奥が深いのかもしれません。
では、書き込みありがとうございました。空波 刻羅 2012/04/28 12:28
蜜柑畑さん
こんにちは。
これほどまでに長い感想は、久々なものでして、アワアワしております。
それだけ心に残ったということですね。
そーちゃんのおふざけ的な一人称ですが、これは前作の一人称よりも、『壊れてきている』を意識して書いています。
小鳥遊を刺殺して以来、徐々にそーちゃんの心は磨耗していくイメージです。支離滅裂な、常人では到底持ち得ない『ふざけ』は、そーちゃんの思考が崩れていくように仕上げてあります。
もっとも、先生と出会って行く中、後半にかけて崩れたものが、また積み上がっていきますが。
先生ともっと早くに出会えれば、また先生のやり方も変わって行ったのでしょうが、そーちゃんの罪は法律で裁かれれば、ああとしかならない域まで達してしまいました。
そんなそーちゃんを『救う』ーー本人にとって、何が救いかも分からない中で、先生はそーちゃんをあの笑顔で旅立たせました。
救われた、と自覚したそーちゃんにとっては、まさにハッピーデッドです。
後半のストーカーは、そーちゃんが今までやってきたことへの『自覚』(気づき)となります。ただ死んで終わりの刑では、意味がない。自身がやってきた『罪』を『自覚』し、謝罪するほど後悔をした時初めてある『罰』があるかと思います。
それらまとめての、先生なりの『救い』は、賛否両論ですが、あれ以外の最適はなかったかと。
蜜柑畑さんにはその意図が伝わったようで、嬉しいです。
そーちゃんを幸せだと言ってくださり、ありがとうございます。
ではでは