ONLOOKER Ⅲ
*
「失礼しました」
職員室の扉を閉めて、直姫は再び窓の外を見上げた。
携帯電話を取り出して、夏生に無事届けたとの報告をメールで送る。
一分も経たない内に、すぐ戻っといで、という返信が来る。
(まったく、人使い荒いな……)
玄関で、スリッパから靴に履き替える。
こんな格好をするようになってから気付いたのだが、濡れた革靴というのは、非常に不愉快なものだ。
できれば履きたくないが、上履きのまま渡り廊下経由で来ることを選ばなかったのは自分なので、仕方のないことだ。
今日は溜め息ばかり吐いている、と思った。
傘立ての横に立てかけていた、雫の落ちきっていない折り畳み傘を手に取る。
アーチの横の階段を降りていたとき、見覚えのある姿が、アーチの門の中に見えた。
雨粒越しだが、見間違えはない、と自信を持っていた。
人の顔を覚えるのは苦手だが、一度覚えた人間はなかなか忘れないのだ。
*
彼女は眉尻を下げ、困った顔をして、門の中に立っていた。
教室に忘れ物をしたのだ。
今日はピアノのレッスンの日だから、外に車を待たせてある。
コンクールも近いし遅れるわけにはいかないというのに、空は相変わらず不機嫌なままで、北校舎への最短距離である中庭を走って通ろうにも、この雨足ではすぐにびしょ濡れになってしまうに違いなかった。
かといって、迂回して渡り廊下を通れば、彼女の足では三十分近くかかってしまう。
レッスンに遅刻するのは確実、そうなればあの神経質な眼鏡の中年女講師が黙ってはいないだろう。
貴重な練習時間を説教で潰されたくはないのに。
彼女は、己の間抜けさを思いきり呪っていた。
というのも、忘れ物とは、傘とピアノの楽譜。
今取りに戻らないわけにはいかなかったのだ。