ボーカロイドお雪

　ちぎれたギターのネックを地面に放り投げるようにして手から離し、あたしは家のブロック塀に向かって何度も硬く握った両方の手をたたきつけた。大声をあげて泣けたら、叫べたら、どれほどよかっただろう。
　でもあたしの喉は泣き声を出す事も叫ぶ事もできない。静かに流れる涙以外に、このあたしの感情を吐き出す手段がない。だからあたしは手を塀に叩きつけ続ける。手の皮が破れて血がにじんできた。
　その痛みはむしろ心地よかった。このまま死んでしまいたい、そんな考えがふと頭をよぎる。肉体的な痛みが一時的に心の痛みを麻痺させてくれている、そんな気もした。
　でもあたしは確かに泣いていた。もう一つだけ、これ以上はないというぐらい確かな事があった。
　あたしの歌は、あの人には、猛さんには、届いていなかった。そしてこれからも永遠に届く事はない。
　お父さんが部屋から裸足で庭に飛び出してきて、あたしを背後から抱きかかえて引き剥がすように塀から離す。
「何をやっているんだ、お前は！気でも違ったのか？」
　横からあたしに向かって金切り声でお母さんがあたしに何か叫んでいたが、あたしには何を言っているのか分からなかった。あたしは雨でずぶ濡れのまま、いつまでも声を出さずに泣き続けた。

　翌日あたしはお雪の入ったＤＶＤを箱に戻し、ソフトショップ・クサナギへ返しに行った。店主のおじさんは何度も理由を訊こうとしたが、あたしはただＰＤＡに「私にはもう必要のない物だから」とだけ打ち込んでおじさんに見せて、それから逃げるように店を出た。
　あたしの背中に店主のおじさんがさらに何かしきりに言葉をかけていたが、あたしの耳には入らなかった。
　もう、二度とギターを手にすることもないだろう。もう二度と曲を書くこともないだろう。もちろんもう二度と、あの公園でライブをやることもない。
　そう、これでよかったんだ。あたしは声を失くし、短い間馬鹿げた夢を見ただけ。とんだピエロを演じていただけ。耳の聞こえない人を相手に、歌で気を惹こうなんて、笑い話にもなりゃしない。
　急ぎ足でソフトショップから離れながら、あたしの頬にまたなぜか涙がこぼれ落ちた。