ボーカロイドお雪
第四章 もう一人のお雪
 二学期が始まり、あたしはまた以前の、やる気のない毎日に戻っていた。小さな地方都市だから、公園でのライブに気付いた子がいたかとも思ったが、少なくとも学校ではそんな気配はなかった。もし誰かが気付いていたとしてもすぐに忘れられてしまったのだろう。
 あれから猛さんの姿を見かける事もなかった。どこかで出会ったとしても、気付かないふりして通り過ぎただろう。ほんの少しの間だけ、夢を見ただけ。あたしにはもうそれでいい。
 最初の音楽の授業、高橋先生というまだ若い女の先生の授業なんだけど、何かビデオを見せてくれるという。先生が以前知り合いからコピーさせてもらったという何かの発表会の録画だそうだ。教壇から先生はこう言った。
「人間の声というのも、ある意味優れた楽器なのね。今日はこれからその証拠を見せて、というか、聞かせてあげますからね」
 あたしはこの先生けっこう好きでよく音楽準備室でPDAでいろいろ話した。まだ若いからなのか、根っからそういう性格なのか、教師にしては気さくで話しやすい人だ。
 でも、その日のあたしはもうすっかり音楽にも興味を失くしていた。だから、ビデオが始まって音楽室が薄暗くなったのをいいことに、教科書を衝立代わりにして机に突っ伏してひと眠りを決め込んだ。
 それでも音だけは聞こえてくる。どうやら声楽の発表会らしい。まず女性、次に男性が何かのクラシック音楽の主旋律を朗々と歌い上げる。そして三人目にはまだ幼そうな声の女の子。拍手に続いて、少女らしい声で「アー、アー、ア、ア、ア、ア、アーアア」と……
 ああ、これは知ってる。「G線上のアリア」だ。でも今は聴きたくない作品だな。それでも嫌でも耳に入って来てしまうその旋律を数秒聴いていて……あたしはガバっと机から顔を上げた。
 黒板の上に垂れさがっているスクリーンの映像を見る。そこには中学生ぐらいの女の子が歌っている。そして……
 これはお雪の声!間違いない。このあたしが間違えるはずはない。これは間違いなくボーカロイドである「お雪」の声と同じだ。いや、お雪の声そのものだ。
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