ボーカロイドお雪
 でも、やっぱりあたしもお雪も何かが、それが何なのかは分からないけど、何かが以前とは違っている。
 最後の曲に入る直前、あたしの視界の隅に見覚えのある少女の姿が飛び込んで来た。猛さんと一緒にいた、まりちゃんというあの女の子。
 彼女は公園の入り口近くでしばらくこっちを見つめていたが、すぐにクルリと背を向けて公園の外へ走り去って行った。
 あたしの胸の奥でチクリという感じがした。もう忘れよう、そう頭では分かっていても、どうしてもこういう感覚は消えてくれない。でも今はあたしの、いやあたし達、あたしとお雪の歌を聴いている、この人たちに意識を集中しよう。
 最後の曲が終わり、あたしが聞いてくれた人たちにぺこりと頭を下げてギターを膝から下ろそうとした時、終わりかけていた拍手がまた大きくなり始めた。段々と、リズムを会わせて一斉に同じタイミングでみんなが手を叩いていた。
 これは、まさか……アンコール?
 あたしから一番近い場所に座っていた二十歳ぐらいのカップルの片方の女の人が両手をメガホンのように口に当てて、こう叫ぶ。
「ねえ!最初のクラシックのあれ、もう一回やって!」
 その言葉に呼応するように、周りの人たち全員が再び手拍子を早める。あたしは突然の事でびっくりしたが、すぐに気を取り直してギターを構えなおした。パソコンのスクリーンに目をやると、お雪が両腕で頭の上に丸を作っていた。
 よし、やろう。「G線上のアリア、詠唱」。今度は省略なしのフルバージョン。あたしのギターが最初の和音を奏でると同時にお雪の声が夕暮れの公園に朗々と響く。
 またさっきの不思議な錯覚があたしを包んだ。何度も言うけど、歌声はパソコンの中のお雪から直接スピーカーに流れているだけで、あたしの喉も口も体のどの部分もその声は通り抜けていない。
 でもあたしはその声が自分の喉から出ているように感じられてならなかった。なぜか口パクをやっているだけなのに、体が熱くなり額にうっすらと汗がにじんで来る。
 この時、あたしはお雪と完全に一体になっていた。後でお雪は、それは自分も同じように感じていたと言っていた。お雪はデータとしてインプットされたメロディーを、指定された通りに再現する事しか出来ないはずだ。でも、まるで自分が作った曲を歌っているように感じた、と。
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