ボーカロイドお雪
 あたしの様子に気づいたまりちゃんが猛さんのPDAを握っている左手を両手で目の前に引き寄せてディスプレイ画面をのぞき込み、あきれた顔であたしに向かってすまなさそうに言った。
「歌を見せて、って……もう、何よ、これ。しょうがないお兄ちゃんだよね」
 それから手話で猛さんに向かって今の言葉と同じ内容を伝え始めたらしい。猛さんは一瞬顔をしかめて「しまった!」という表情をし、手の甲でしきりに額の汗をぬぐい始めた。
 それから困った顔つきであたしとまりちゃんに向かって交互に何度もペコリと頭を小さく下げる。あは!ほんとに素直で純情な人。あたしは手話でまりちゃんにとっちめられている猛さんの姿を見ながらますます笑いがこみあげて来た。
 必死で口を押さえているあたしの手に、ぽたりと水が落ちてきた。あれ雨?いや、そんなはずはない。空には満点の星が見える。雲ひとつない星空だ。
 それはあたしの目から落ちた涙だった。あれ?変だよね。あたしは今笑っているはず。一体なんで涙が出て来るんだろう。
 あたしの涙に気づいたまりちゃんがあわててあたしのもとに駆け寄り、あたしの肩にその小さな手を置いて、うろたえた声で言う。
「ご、ごめん。おねえさん、傷ついちゃった?あ、でもね、このお兄ちゃん、そういう意味で言った、って言うか書いたっていうか、あの……あのね、決してそういう意味だったんじゃなくて……だからあのね……」
 まりちゃんはオロオロして今にも泣き出しそうな顔をしていた。あたしは頭を大きく横に振り、彼女の頭を手でなでてあげた。
 それからあたしはPDAにこう文章を打ち込んでまりちゃんの顔の前に差し出す。
『違うの。そうじゃなくて、うれしいの。うれしかったから、だから涙が』
 そこまで書いてあたしはもう続きを打ち込む事が出来なかった。PDAがあたしの手からぽとりと地面の芝生の上に落ちた。
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