甘くないコーヒー

「あぁちょっと待って。いくらだい？」と小銭を探そうとポケットに入れようとした手を突然掴まれた。


「お金はいらない。定年のお祝い。」と笑顔を見せた。


「本当にいいのかい？会社は辞めたけど、定年じゃないんだ。」とバカ正直に答えた。

「早期退職ってヤツなんだ。」こんな事まで言わなくていいのに、この女の前では全てを話さなくてはと思った。


しかし、女は興味なさそうに「そうなんだ。」とだけ答えた。


急に恥ずかしくなり慌てて「このコーヒー旨いよ。」と言うと
「でしょ！？」と満面の笑みを浮かべた。


「何の豆を使ってるんだ？」と聞くと
「内緒。」と言いながらトランクを閉めた。


そして、おもむろに「私、羽田明日見。明日を見るって、書くの。」と手を差し出した。オレも手を差し出し「麻生光一朗。」と自己紹介すると
「政治家か俳優みたいな名前ね。」と握手している手を、ブンブンと振った。


「じゃまたね。」と車に乗り込もうとした明日見の前に花束を差し出した。


「オレには花なんて似合わないから、あげるよ。」
「ありがとう。光ちゃん。」と言いながら明日見はドアを閉め走り去った。