夏の日の終わりに
 10分くらいだったろうか、突然ドアが開くと医師がやれやれと言った表情で廊下へ出てきた。

「少し持ち直しました」

 その言葉に再びハンカチを押し当てるおばさん。

「しかしですね……」

 その後に続いた医師の言葉は残酷なものだった。

「恐らく今夜越えれるかどうか、だと思います。会わせておきたい方がいらっしゃいましたら、早急にお呼びください」

 その言葉は文字通り僕の頭を殴りつけた。

 放心する僕らに一礼した医師は、そそくさとひと気のない廊下を去っていった。


 止まってしまった空気がやけに重い。僕は身じろぎひとつ出来ないおばさんの肩を抱くと、部屋の中へ促した。

「とにかく、中に入ろう」

 しかしドアを開けた先には、目を背けたくなる祖父の姿があった。

 医師や看護師が去ったあとに残されたひとりの老人は、取り囲むように置かれた医療器械から伸びた幾多のチューブに繋がれ、微動だにする気配もない。

 ただ、人工呼吸器の排出する空気が、ようやく胸を上下運動させているに過ぎなかった。


 静まり返った室内。みな押し黙ったまま会話のひとつもない。心拍計の電子音と人工呼吸器の排出音だけが、この部屋に響いていた。

 祖父はもはや生きているのか死んでいるのかさえ分からない。ただ、その心拍計のモニターだけが、かろうじて生きていることを知らせているだけだ。

(死ぬのか?)

 その変わり果てた姿を見て、初めて祖父の死が現実味を帯びてくる。それは遅すぎた実感だった。

 術後は言葉を交わすことが出来なかった。最後に交わした言葉は手術室に運ばれる祖父を見送ったときのものだ。

『ん』

 その一言だけだった。


 しばらく上から祖父を見下ろしていたが、やがて力なく椅子に腰を下ろす。すると、母親がぽつぽつと語り始めた。
< 100 / 156 >

この作品をシェア

pagetop